『十円はげ事件』 ニューヨークでの生活、新しい環境が新鮮な驚きと緊張を生み出し、不十分な
語学力とあいまって、かなりのストレスが生じていたようだ。
事務所の中ではほとんどの仕事が日本人スタッフ中心で、コミュニケーションも
日本語で事足りた。ランチタイムは事務所の近所の日本食レストランに行くことが
多く、現地のレストランに行く機会もほとんど無い。
せっかくニューヨークにいるのに、もったいない話である。
週末は先輩とゴルフ、日本食料品店へ買い物、日本人中心の生活である。
海外駐在員として、3年から5年の海外勤務をしても、外国語の能力が余り向上
しない人もいるという事実がある。日本人中心の生活で終始していたら、本当に
そんなことになり兼ねない。
事務所で一番若かった僕の仕事は、書類の管理やファクターといわれる代金回収会社への諸連絡、これもほとんど書面での連絡が多く英語を話す機会は余り無かった。夜になるとテレックスの発信、これが結構な時間の掛かる仕事で、各担当者からの原稿をタイプして電送する。担当者が残業をして書き上げる原稿が回ってくるのは、夜の7時半から8時、彼らはそれで帰ることが出来るが、僕の仕事はそれから、こんな小さな事務所でも20人近い人から出る現行の量は半端なものではなく、早くても10時半、時には12時近くまでかかる。
ファックスやE-メールになれた今の人には想像も出来ないが、当時の通信は全て、電報やテレックスを使ってやっていたのである。それも当時は鑽孔テープを作り、それをテレックスマシンに読み取らせ、発信する旧式のもので、間違いを修正するのも大変な作業だった。僕ひとりではなく、他の部門の若手社員もやっていたのだが、僕の部門は日本人スタッフも多く、またセールスマンも原稿を出してくるので、量として一番多かった。
更に何故か支店長の秘書的な仕事もあり、仕事面でのストレスもあっという間に高まったようだ。ある日、家で風呂から出て、髪を乾かしながら、鏡を見ていたところ、何か違和感が・・・。髪をかきあげて見ると、おでこのすぐ上の部分の髪が円形にはげていた。
「わっ、何だ、これは!!」
何回見ても、同じ円形に十円玉よりちょっと大きめに髪がない。
「うそ~、若はげ・・・、やばいぞ、こりゃ。」
新婚早々、別居中に若はげでは、新妻に合わせる顔もない。
翌日、会社の近くの診療所へ、相談に。見た目には目立たないので、他の人には
気づかれていなかったが、早く何とかしないと。
医者の見立ては神経性の円形脱毛症とのことで、
「髪の毛を清潔に保ち、リラックスするように、余り気にしないように。」
とアドバイスを受けたが、リラックスなど出来るはずも無く、ついつい気になって
頭を触ってしまう。とうとう、先輩に見つかってしまった。
「酒川~、おまえはげてるじゃん、かみさんに離婚されちゃうぞ~。」
などと、無責任な発言。
そして、電話で妻に告白。
「十円はげになっちゃったよ、どうしよう。」
「だいじょうぶ?どうしようどんどんはげちゃったら・・・」
この話は、必然的に日本の友達たちにも広がってしまい。
いろいろな人から『はげましの』メッセージが・・・。
この脱毛現象は、三週間後には、元通りに毛が生えてきて、事なきを得たが、
本人は本当に悩み、どうなることかと思いました。
はげの消失とともに、こちらの生活にもだんだん慣れてきた僕でした。
こんな頃に妻の友達のまっちゃんが、ニューヨーク便の仕事が入り、やってきた。
そして、今も語り草の
『ニューヨーク、エンゼルヘア騒動』と相成るわけで・・・
「あぁ、こわ~~。」
# by mickeys101 | 2005-02-20 22:00

僕のニューヨークでの仕事
僕のニューヨーク事務所での仕事は、ハンドバッグの輸入販売部門。
先輩のマーク鈴木さんと2人の日本人が管理する。
セールス部門の子会社と客先への配送をする倉庫部門からなる。
34丁目の我々の事務所には、靴部門の日本人が3人、
朝入ってくると香水のにおいですぐに分かるもう引退した方がいいような
アイーダおばさん、この人タイピスト。それにコロンビア人なのに、日本人スタッフが
使う、下品な中国語を何故か覚えてしまったハーマン(正しくはエルナン・ロペス)が
いた。それにいつもえらそうな態度の靴のセールスマン達4人、ボスのボブ・グリック、
めちゃくちゃ背の高いビル・ジャイルス、カッコマンのランディー・スペンサー、それに
ハンサムなのに本当はゲイのディック・ビィーシー(後で分かったことだけど)、この人達は我々みたいに大部屋ではなく、全員個室で仕事をしていた。(時々、四人はショールームでカードゲームなども)。 我々のセクションでもそうだが、日本人の仕事は管理業務で
販売は現地のセールスマンのお仕事で、彼らは十中八九、ユダヤ系だった。(九一さん=
クイチさんと呼んでいた。9+1はジュウ=ジュウイッシュという訳)。
他には繊維関係で3セクション、タイル窯業関係、機械関係、経理関係、電気光学関係
それにカメラのメンテナンス関係と各セクションが有った。それに支店長様。色々な人間模様が展開されていたのである。現地スタッフもセールスマン以外は中国系とか、黒人などなど人種の坩堝。
わがセクションは、日本人が2人。セールスマンオフィスは五番街のエンパイヤの
向かいのビルにあり、そこにセールスマンのボスのビル・ランズマン、スタンレー、
シンディーの三人、そして、後日深くかかわることになるボストン近郊にある倉庫の
スタッフ、アル・ピッチメント(イタリア系)、ミューリアル(フレンチ系)、トム・リーバイス(アイルランド系)のメインパースンと50人のワーカー。
これらの人々に囲まれて、僕のニューヨークでの仕事が始まった。そして、あの忌まわしい『十円はげ事件』が・・・
# by mickeys101 | 2005-02-15 23:34
アメリカ、ニューヨークへ(1978年、7月) 新婚の妻を残し、ニューヨークへ旅立つ日がやってきた。日本に心を残しつつ、
ひとり未知の国へと旅立つ。新しい環境に対する不安と期待。開港間もない成田空港、
成田空港闘争が真っ盛りで、過激派対策で警備が非常に厳しく、見送りも2人までと
制限されていた時代。母と妻の2人に見送られ、日本航空ニューヨーク便に乗り込んだ。ジャンボに比べればセスナのようなDC8、それもノースウェストのストで満席状態。
乗客はやはりストのあおりか、台湾人がやけに多かった。隣は台湾人老夫婦。僕も日本人と見られず、アテンダントが英語で話しかけてきた。
「お父様、お母様の飲み物はなにがよろしいですか?」
僕はわけが分からず、
「え、なんですか?」
そうしたら、やっと
「日本の方ですか?」
「はい、そうです。」
隣からは中国語で話しかけられ、わけが分からず・・・
狭い座席で腰が痛くなり、興奮状態で余り寝ることも出来なかったが、何とか
アンカレッジに到着、ホット一息。熱いうどんで生き返った。当時は、アンカレッジで
ワンストップ、ダイレクト便はまだ無かった。このアンカレッジのうどんがなんとも言えず、おいしかったのです。
薄暗いアンカレッジから一路、ニューヨークへ。長いフライトの果て、ニューヨーク
J.F.ケネディー空港へ降り立った。ゴルフクラブを抱えて出て行った僕を先輩の社員が
迎えてくれた。
「ゴルフクラブを抱えて、赴任してきたのはお前が初めただ。」
「ゴルフ好きなの?」
「いえ、一度もやったこと有りません。」
実はニューヨーク赴任に際し、みんなゴルフやるからもって行けと勧められて
もって行ったものだったのだが。
ニューヨークでの住処は、取りあえずクィーンズ地区にある先輩の単身赴任の家に同居させていただくことになった。ユニオンヴィレッジという、もともと国連関係の人がたくさん住んでいたところで、緑の芝生がアメリカを実感させるようなところでした。
翌々日、時差も取れないまま、マンハッタンのミッドタウンにある事務所へ出勤。
僕のニューヨーク勤務が始まった。34TH ストリート、五番街とアヴェニューオブアメリカスの間、あの有名なエンパイヤステートビルのはす向かいの小さな古いビルの5階が新しい仕事場になった。近くにはメーシーデパート、ペンステーションなどがあるにぎやかなところだ。日本人が25人くらい、現地スタッフ20人くらいの現地法人。憧れのニューヨークの事務所であった。
これから、自分で墓穴を掘ったマサチューセッツの田舎町への転勤までの短いニューヨーク単身赴任が始まろうとしていた。
週末の僕の楽しみは近所の隅田川の川辺を巡る散歩。冬はちょっと風が冷たいが
気持ちの良い散歩道である。パリのセーヌ川と隅田川が姉妹河岸だという(川辺の姉妹都市
見たいな物)。隅田川テラスと名付けられた河岸の散歩道は隅田川両岸に作られた遊歩道だが、四季折々の木や花が植えられていて、眼を楽しませてくれる。川の表情も時刻や季節で異なり、飽きる事がない。
仮の住まいを都心のこの場所に決めた一つの大きな理由は、この河岸の散歩道に近いということである。早朝の川面を大きな魚が飛び跳ねる、河鵜がもぐって小魚を採っていたり、
遊覧船(水上バス)の往来を眺めたり、よその犬にちょっかいを出したり、全く飽きない。
都心の生活に潤いを与えてくれるこの空間は、ここを離れるときに一番惜しまれることだろう。
# by mickeys101 | 2005-02-06 12:00
婚約-転勤命令-結婚-そして、ニューヨークへ
中堅の商社に入社して3年が経ち、その間名古屋で2年、やっと東京に帰ってきて、
東京の仕事にも慣れてきて、私生活でも結婚の予定も決まった頃、ニューヨークへの
転勤の話が決まった。人生の節目になると転勤の話が有るとよく言うものだが、
婚約の話を伝えた上司からこの話を聞かされ、「もうしばらく、恋人同士でいたら」などと、
とんでもないことを言われ、昔のメロドラマなら、「5年ほどで帰るから、待っていてくれ。」
などと悲しい別れをする場面だが、それならと結婚の日取りを早め、早々に結婚式を挙げ、
日本での短い新婚生活をスタート。12月に挙式、7月初めには赴任というスケジュール。
もともと翌年の6月に挙式の予定だったが、転勤の話で半年日取りを早めばたばたの
結婚準備。若い2人のことでそんなに貯金をあるわけではなく、結婚式の費用はかつかつ
の状態だった。式場は『中野サンプラザ』、別名は余り知られていないが、
『東京都勤労青年会館』、会場のネームバリュウ、雰囲気の割には比較的料金も良心的で
立派な式を挙げられた。司会は同級生の現役アナウンサー、会場には妻の同僚の客室乗務員がずらりと並び、華やかな雰囲気の中、無事に終了。
新婚旅行は妻の仕事の関係で飛行機代はただでいけたので、海外旅行の経験のない2人の母親も連れてハワイ旅行に行くことにしていたが、内情は新婚旅行の成否は結婚式のご祝儀をあてにしての綱渡り。
式後、新郎の僕が祝儀袋を持って、トイレに駆け込み金勘定、
「何とか、新婚旅行にいけそうだ」とホット一息。
なんともどたばたの式でした。
親を連れての新婚ハワイ旅行もめずらしいが、妻の同僚が休暇を取って、
入れ替わりで大勢押し寄せ、
「あんた達、うまくやっている?」なんて、見張りに来るし、なかなか2人きりになれない。風変わりな新婚旅行。
後で思うと親が本当に喜んでくれたので、良い親孝行ができてよかったのだが。
二人で夜も更けてからこっそり抜け出そうとしたら、
「何処にいくの?」
「ちょっと、飲みのいこうかなと思って」
「私たちもいくわ。」
ちょっとは遠慮しなさいよとは言えず、なんともお邪魔なお二人さん。
そうかと思えば、
「あの子達、奥手だからうまく行くかしら、心配ね。」
なんて、余計な心配をしていたようで、全く困った道連れで。
四人連れの珍道中もあっという間のたのしいひとときでした。
新婚旅行から帰り、千葉の新築の社宅に入居しての6ヶ月弱の楽しい新婚生活も
あっという間に過ぎ、ニューヨーク赴任の7月1日がどんどん近づいてくる。
この会社では初めての海外勤務の場合、1年間は単身赴任という不文律が有り、
実際には社則には明記されているわけではないが、そう言われれば、従わざるを得ず、
海岸勤務の夢の実現を喜ぶ気持ちと新婚早々の妻と離れて暮らさねばならない現実に
複雑な気持ち。時間は猶予無く、とうとう赴任の日がやってきた。
新婚早々の新妻と長年応援してきたヤクルトスワローズの念願の初優勝のチャンスに
後ろ髪を引かれながら、未知の地へ旅たつことになった。
そのときには夢にも思わなかったが、これがその後の25年に及ぶ長い海外生活の
始まりとなった。
「さあ、いよいよニューヨークへ出発だ。」
未知の国、アメリカへ。

このサックスは、僕のものにならない趣味の一つであり、かつ数多い衝動買いの
一つでもある。五年位前にケニージーのホワイトクリスマスを聞いて、
いいな僕もふけるかななどと思い、小学校のとき縦笛が結構得意だったなと、
簡単に考えて、買ったものだ。
縦笛との違いはリードがあり、簡単にはいい音が出せない。
吹けども吹けども豆腐屋のラッパ。
犬は吼えるし、家族には顰蹙を買い、いつの間にか物置の奥に・・・
日本に帰国に伴い、荷物の整理をしたときに、不要物として
捨てられそうな憂き目にあい、それではとこちらにもってきたものだ。
独身生活の暇つぶしに最近は毎日、近所迷惑ならない程度に
練習をしている。だんだんといい音になってきたと思える今日この頃である。
怖いのはうまくなったらもっといいものがほしくなること。
衝動買いを戒めないと・・・

こんな年でぬいぐるみのワンちゃんなんて。
誤解しないでくださいね。
東京での一人暮らしでさびしくないようにと娘からのプレゼントなのです。
ハートを押すと
I Love You
なんていうし、ありがたく頂戴してきたんです。
ベッドにおいて、一緒に寝ています。やっぱり、気持ち悪いかもね。おじさんが・・・
犬は子供の頃から大好きで、アメリカ駐在員時代以外はずっと飼っていました。
最近は
どうするおじさん
のブームでチワワみたいなミニチュアタイプが
流行みたいだけど、僕はどちらかというとラブラドウル・レトリバーが大好き。
大きいのに性格が優しくて、ちょっとぼけ~~っとした表情がなんともいえない。
ペットとしては、大きくて大変だけど、はやく一緒に住めるといいな。
# by mickeys101 | 2005-01-29 20:40
最近、坐骨神経痛が出たため、自転車通勤をやめて、血行を良くしようと
徒歩通勤に切り替えています。余り急ぎ足でなく、ゆっくりと良い姿勢で。
朝の街は心なしか空気もきれいで、気持ちが良い。時間はたっぷりと
有るので、急ぐ必要も無く、街並みを見ながら、街路樹を見ながら、
それと通勤の人たちを眺めながら・・・
急ぎ足の人々、時間は8時ちょっと過ぎなのに、結構急いで歩いている。
自分も無意識で歩いているとあんなに急いで歩いているのかなと思う。
目線は下向きで、顔つきも暗いな。疲れた顔が多いな。
目線をあげて、人の様子を見ながら、ゆったりと歩いていると、何故か楽しい。
あごを揚げて、目線を遠くに、さわやかな朝の雰囲気を楽しみながら、歩いていると
色々な物が新鮮に見えてくる。
人生の生き方も同じかなとふと思った。 あごを揚げて、前を向いて
堂々と歩いて生きたいと思います。
# by mickeys101 | 2005-01-28 22:17
寒い日曜日だな。
最近、運動不足なので、意を決して散歩に出かける。
どんよりとした曇り空で、人通りもまばらだ。
天気の良い日には犬の散歩、ジョッギングをする人が結構いるのだが。
隅田川沿いを箱崎から越中公園経由で、一時間程度ゆっくりとしたペースで
歩く。
坐骨神経痛に歩くことがいいのか分からないが、余り負担がかからないように
ゆったりと歩くことにした。
歩いていると心なしか痛みが緩和したようだ。寒いので汗もかかないが
身体全体がだんだんと暖まり、血の巡りも良くなったようだ。
人は余りいなかったが、かもめやはとや鴨などの鳥たちを
眺めながら歩いてきた。
やっぱり気持ちがいいもんだな。
# by mickeys101 | 2005-01-23 12:37
テレビで紹介されていたブログってなんだろうと、自分で作ってみました。ホームページビルダーなどのソフトは買ってみたものの、なかなか自分のホームページを
立ち上げることも出来なかったのですが、ブログを使えば、簡単に作れると聞いて
やってみようとトライしました。
25歳から日本を離れ、アメリカ、台湾と海外生活を26年、昨年の4月に帰ってきました。
日本の生活に対するリハビリ期間も過ぎ、やっとなれて来ました。
色々と感じたことなどを書いていきたいと思っています。

シアトルマリナーズの熱狂的ファンです。
今年こそ、プレイオフに出られますように。
# by mickeys101 | 2005-01-23 01:16